完全自由な学校サドベリースクール!教師やるなら知っておいてほしい

自由な学校サドベリースクール

この記事では、サドベリースクールという学校についてみなさんに紹介します。

なぜその学校を紹介するのかと言うと、教師としてなにかしら悩みを抱えていらっしゃる方にとって、その情報がおそらくプラスに働くだろうと考えるからです。

私たちの教師としての常識をぶっ飛ばすような学校ですので、覚悟して読んでください笑

プラスに働くと言いましたが、具体的には、この学校の教育方法を知れば気分が少し楽になり肩の力をちょっとだけ抜いて教師としてやっていけるようになるのではないか、ということです。

私が初めてサドベリースクールの名前を聞いたのは天下伺朗さんの著書『教育の完全自由化宣言!』を読んだときです。

その本にはユニークな教育実践をしている学校がいくつか紹介されていましたが、中でも際立ってインパクトの強かったのがサドベリースクールでした。

その内容はとても衝撃的でした。私はすぐに他のサドベリースクールに関する書籍やビデオを集め、自分の目で確認していきました。

そして日本にもサドベリースクールがあることを知り、東京と兵庫県西宮市にある施設の見学にも出かけました。

それでは、サドベリースクールについて詳しくご説明します。

サドベリースクールとは?

正式名称は、サドベリー・バレー・スクールといいます。この記事では以下サドベリースクールと呼びます。

どこにあるのかというと、アメリカのボストン郊外にあります。

サドベリースクールは1968年に創設された学校で、上から押しつける教育を一切やらず、子どもたちに100%の自由を与え、授業までも自主性に任せるという驚くべき運営をされています。

1997年にNHKの番組で特集されたことがあり、その番組を見て感銘を受けた作家の本田健さんが自分の娘を入学させるために、わざわざアメリカに移住されたという逸話は、サドベリー校の魅力をよく伝えています。

ちなみに私もその番組の録画ビデオを入手して見てみました。大変興味深い内容でした。

サドベリースクールの特徴

・4歳から19歳までの生徒がいる。

・学年もクラスもカリキュラムもない。

・時間割も宿題もテストもない。

・子どもに勉強を強制することはまったくない。

・一日中遊んでいても、本を読んでいても、何をしていてもよい。

・何をやるかは生徒自らが決める。

・授業が成立するのは、子どもたちが学びたいと思ったときだけ。

・生徒は、何かを学びたいときに教師と交渉して、おもに少人数のグループで授業を受けることができる。

・多くの子どもたちは授業を受けるのではなく一人で勉強する。

・生徒が必要なときに助けるのが教師の役割。

・校則などのルールは、誰でも参加できるスクールミーティングで決める。生徒の一票と教師の一票は同じ。

・教師が次年度も採用されるかどうかは生徒の信任投票で決まる。

サドベリースクールの考え方

サドベリースクールでは次のような考え方で学校を運営されています。

・子どもは、生きていく上で必要なことは自分で学んでいくことができる

・いやいや勉強をしても身につかない。

・遊んでいようが何をしていようが、子どもは必要なことを学ぶ。

たとえ一日中遊んでいたとしても、時期の早い遅いはあるものの、すべての生徒がどこかのタイミングで「読み・書き・そろばん」等の基礎能力を修得します。

それが8歳なのか12歳なのかはわかりません。その子がそれを必要と感じたタイミングでその習得が始まります。

算数の授業の様子が紹介されていました。ある子が算数を覚えたいと思いつきます。するとその子は周りの友達に「私、算数を学ぼうと思うんだけど、誰か一緒にやる?」と聞いて回ります。

そのタイミングで算数やってみようかなという子が数人集まりました。彼女たちは教師のところに算数を教えてもらえないかと交渉に行きます。

教師との間で約束が交わされ、毎週何曜日の何時からレッスンを行う、などということが決められレッスンが始まります。

本当に学びたいと感じているとき、子どもの集中力や吸収力は驚くほど発揮されるそうで、例えば小学校6年間で学ぶ算数のすべての内容は、たいていトータル24時間程度の授業で終了するということです。

これには本当に驚かされます。また、卒業生の約8割は大学に進学しているということです。

自分の働く学校と比べて

私は公立高校で教諭をしていました。現在は教師を辞めていますが、日本の教師たちもサドベリースクールから学べることは多いと思っています。

私の授業の場合、「今それを学びたい」と感じている生徒の割合はかなり少なかったはずです。そういうのは生徒の表情などを見ていれば伝わってきます。

みなさんの授業ではどうですか?

生徒は今その教科を学びたいと感じているでしょうか?

私は、生徒が生き生きとして情熱的に取り組んでいる活気のある授業はなかなかできませんでした。

もちろん私の友人の中には、そのような授業をする天才的な人もごく少数存在していましたが、大多数の人は同じような悩みを抱えていました。

昔の私は、それを自分の授業力(惹きつける力、説明力、テンポの良さ・・・)が足りないことに原因があると考え、改善に向けて試行錯誤していました。

もちろん授業力が足りなかたことは事実であり、それを改善させることが悪いことではありません。

一般に、授業のまずさの原因は教師自身の技量不足にあるということは、教師にとってはごく当たり前のことだと考えられています。

しかし、教師がそこに原因を求めてしまうことで問題の真の原因がカモフラージュされてしまっているのではないでしょうか。

私は、「授業力を磨くのが教師の仕事」という金科玉条にとらわれすぎていたのではないかと反省しています。

もちろん、教師の技能の低さが退屈な授業をつくることは事実だと思います。

しかし、全員に同じ内容を同じペースで教えるという画一的な教授方法こそが見直されるべきではないでしょうか。

画一的な教授方法が功を奏するときもあることはわかります。しかし、ほとんどすべての授業をこのスタイルでやり続けているとしたらどうでしょうか。

それはまるで、もっと食べたい人、もうお腹いっぱいの人、そもそも食べたくない人にも、同じ料理を同じ量だけ機械的に与え続けているようなものではないでしょうか?

私たちはこの根本的課題には目を瞑り、あるいは気づかずに、授業方法の研究にあくせくしているのではないでしょうか。

私たちが、教師の技能の向上のために個人や組織で行っている研修が、本筋ではなく枝葉末節となってしまっている可能性もあると思うのです。

もちろん、サドベリースクールにも短所はあるでしょうし、一般の学校にも良さはあります。すべてサドベリースクールの真似をしようと言っているわけではありません。

ただ私がここで言いたいのは、もし日々の教育や生徒指導に悩んでいるとしたら、改めて自分に問いかけてみてはどうですか?ということです。

「本来教育とはどのようなものであるべきか?」という問いかけです。

自分が行っている教育が不自然なものになっていないかどうかをチェックするのです。

私はこの問いかけをしてみました。そして、自分が行っている教育がいかに不自然で非効率的で無目的であったのかに気づきました。

そこから私の教育に対する探求が始まっていったのです。

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