生徒の自主性を奪うようなサービス過剰は生徒の成長を妨げてしまう

生徒の自主性を奪うサービス過剰

私は昨年度まで公立高校の教師を20年以上していました。

その自分の経験から言えることですが、この20年間で教師がやらなくてはならない(とされている)仕事量はかなり増えてきていると感じます。

新規採用されたばかりの人や採用後数年以内の若手の教師の人たちの中には仕事に追われている人が多かった印象があります。

しかしよく観察してみると、中堅や年配の教師の人たちもかなり仕事に追われています。

今から20年くらい前には、うまく仕事をさぼっている(ように私には見えた)年配の教員の方も結構いらっしゃいましたが、

最近では、仕事への熱心さには差はあるものの、ほぼ全員の教師が多かれ少なかれ仕事に追われているという状況が生まれつつあるのです。

そこでこの記事では、私の経験上はっきりした、仕事に追われないためのヒントを書き記します。

仕事が増えた原因

なぜ教師の仕事は増えてきているのか?

その原因はいろいろあると思いますが、ざっくり言うと次のふたつではないでしょうか。

①新しくやるべきことが増えた

②生徒へのサービスが過剰になってきた

ざっくりいきすぎた感はありますが、まあこのふたつです。

さらに簡単に解説します。

①新しくやるべきことが増えた

地域との連携、大学との連携、学校間の連携、保護者との連携、これだけでもいろんな仕事が増えました。連携ブームです。

その他、保護者からのクレーム対応が増えた。生徒への課題が増えて採点などの仕事が増えた。教育委員会から指示される仕事が増えた。学校行事が増えた。校内の委員会が増えた。会議が増えた。などなど・・・

みなさんの学校でもこんな感じではないでしょうか?

これらを減らすためには自分一人の力ではなかなか厳しいものがあります。相応に根回しをして会議で提案して(もらって)、多くの職員の賛同を得る必要があります。

また、学外の各種団体と交渉しなければ減らせないものもあります。

ということで、これらを減らすことにエネルギーを使う前に、②の方でなんとかならないかなと思っています。

②生徒へのサービスが過剰になってきた

これは間違いないと思います。20数年前と比べると格段にサービスの向上が見られます。

サービスの向上と言うと良い成果のように見られますが、学校の場合はそうとは限りません。

教師はサービス業だと言われますが、誰にどんなサービスをするのが良い仕事なのか、ということをしっかりと考えておかないといけません。

そこを曖昧にしたまま仕事を始めてしまうと、より多くのサービスを提供したにもかかわらず、サービスを受ける対象にとっての利益になっていない、ということが起こってしまいます。

説明が難しいので結論的なことを言いますと、生徒たちの個々のニーズはいろいろあれど、基本的には自分の成長を求めているということです。

大学進学できるだけの学力であったり、友人を飽きさせないだけのコミュニケーション力であったり、失恋しても立ち直れるだけの精神力であったり、

そういう力を身につけたいと考えている人も多いはずですし、自分がどんな力の習得を求めているのかが漠然としている人も多いとは思いますが、

生徒たちは基本的に強くなりたいのです。人間的な強さです。強くなければ人に優しくもできません。

強くなりたいと意識していない生徒も多いと思いますが、結果として強くなれた自分を嫌がる人はいないでしょう。

それなのに教師がサービス過剰になって、手取り足取り段取り尻ぬぐい、すべてやってあげようすると、最終的に損をするのは生徒ということになります。

「生徒のために」働くことが教師の仕事である、という思いが学校教育の中で強くなりすぎて、さらにそれが微妙に形を変えて、

”将来的な成長を助けることで生徒のためになる”べき教育が、”今の生徒を楽をさせるためのサービスを提供する”教育へと、

教育の目的と本質を完全に見失った方向にズレてきてしまっているのではないでしょうか。

生徒の成長のために

人間が成長するためには、自分でいろいろやってみて失敗しては修正していく。この繰り返しが一番効率がいいと思います。失敗こそが成長への足掛かりになるのです。

失敗を未然に防ぐように設計された場所でいくら時間をかけて挑戦しても、たいして成長の効果は得られません。

ここでちょっと話はそれますが、あえて障害を設けることで身体の回復をサポートしている『夢のみずうみ村』というリハビリ施設がありますので紹介します。

夢のみずうみ村には、段差、坂、階段等日常で遭遇する可能性のあるバリアを意図的に配置した「バリアアリー」施設です。どこにも手すりがあって、段差がない施設は、高齢者が自らがんばって、身体を回復させようとする意欲を奪ってしまうという考え方によるものです。

バリアを意図的に設けて、バリアの克服方法をマスターしていただき、自宅での生活範囲を広げていただくことを目的としています。

(出典:夢のみずうみ村HP

さて、この施設と同様な発想は学校でも生かせないでしょうか?

教師が生徒のためを思ってサービス過剰になってしまうことで、生徒は失敗するチャンスを奪われてしまっています

あれもこれも教師が用意してやって、

やり方まで説明してやって、

進捗状況もチェックしてやって、

失敗しないようにアドバイスをしてやって、

やる気が出ないときは個別に話してやって、

提出のチェックもしてやって、

出せてない人には連絡もしてやって、

できない人には個別指導してやって、

結果の評価もしてやって、

次回のアドバイスもしてやって・・・・

こうなると生徒は失敗しにくくなるとともに、自分で成し遂げたという達成感も得にくくなります。

また、ここまで至れり尽くせりになると、少しのサービス不行き届きが目につくようになり、教師や学校に対しての不平不満の気持ちが芽生えてきます。

生徒たちは一流ホテルに宿泊している客ではありませんから、超快適な空間と、痒い所に手が届くようなサービスを提供する必要はありませんし、誰もそれを求めてはいません。

生徒たちの心の声(無意識なものも含む)はこんな感じなんです(想像です)!

もっと自分で考えさせてほしい!

もっと挑戦させてほしい!

自分のやり方を試してみたい!

失敗も経験させてほしい!

やるタイミングも選ばせてほしい!

自分で決めさせてほしい!

めんどくさいことをするのは嫌だけど、将来のためになるのならちょっとくらいならやってもいいよ!

失敗も含めて、できるだけいろんな経験ができるようにサポートする。これが本来の教師の仕事ではないでしょうか。

生徒が自分でやった方がいい部分は生徒に任せる。その分教師の仕事量は減りますし、それによって余裕が生まれますので、全体的に生徒の様子を観察することも可能になります。

ギリギリまで生徒に任せてみて、どうしても助けが必要な時、生徒が助けを求めてきたときに適度に手を差し伸べてやればいいのではないでしょうか。

そのような発想で教師が生徒と関わるように心がけるだけで、学校内にはよりリラックスした空気が流れるような気がします。

まとめ

教師がサービス過剰になってしまったのは、社会情勢や家庭環境の変化が影響していると思います。比較的過保護に育てられた子どもの割合が増えてきたことにも関係があるでしょう。

サービス過剰をやめるといっても、放任教育になったり、昭和に戻れ!と言うのとは違います。

そうではなくて、生徒の成長を見据えて、自主的な行動のチャンスを増やしてやる。

できるだけ失敗する場面をつくってやる。生徒が困ったときは助けるだけの余裕を持って生徒を見守ってやる。

こういうことです。放任主義になって教師が遊んでいていいわけではありません。

不要なサービスを減らすことで教師の心にも余裕が生まれます。これがとても重要です。

余裕のある心からは質の高いサービスが生まれます。そうなると、生徒の成長につながるようなサービスを精選することもできるようになります。

今一度、自分および周りの教師たちのサービスの提供状況を見直してみて、自分たちにも生徒たちにもプラスになる学校空間づくりにチャレンジしてみませんか?

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