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生徒に嫌われたくない自分
生徒の嫌がりそうなことを言うの?
私は子どものころ、比較的真面目に教師の言うことを聞く生徒でした。あまりよく覚えていませんが、目だって教師に反抗したことはありません。
しかし何度か、教師の言うことに納得のいかない思いをしたことがあります。
しかしそこで反発して拒否したり、教師に質問したりするような子どもではなかったので、まあ仕方がないかと思って従っていました。
教師になってみると、自分が教師として、生徒が納得しそうにないことを言わなくてはならない場面に何度も出くわしました。
あなたにもそういうことはあると思います。
とくに生徒指導的な注意であったり、校則を守るように厳しく言う必要があったりするときです。
その校則について自分としてはまったく納得していない場合、なんとも苦しい立場に追い込まれます。
自分の考えが同僚たちと違うけれども、学年の他の教師たちと合わせなければならないような場面もよくあります。
そういう時は「嫌だなぁ」と思いながらもやるわけです。
こういうことを言うと生徒は嫌がるだろうなぁ、生徒から嫌われたくないなぁ、口うるさい教師だと思われたくないなぁ・・・
そう感じながらも生徒の前に立つのです。
どうしても嫌なら事前に解決を
そうは言っても、どうしても気が進まないなら事前に話し合って解決しておかなくてはなりません。
しかし、事前に解決するのが難しいことが多いため、しかたなくイヤイヤ生徒の前に立たなくてはならなくなります。
事前の解決が難しいのは、教育観の違う他の教員に自分の考えを示し、議論して妥協点を見つけていくという作業に時間がかかるのと、
自分とは考えの違う教員の意見に異を唱えるということが心情的に怖い、という理由がありました(私の場合は)。
これは日本人の良くない点だと言われますが、私には、仕事上の意見の対立と、人間的な信頼関係を一緒くたに考えてしまう悪い癖があって、
「いつもお世話になっているのに違う意見は言いにくいな・・・」というように尻込みしてしまうことが多かったのです。
とくに若いときはそういう傾向が強く、先輩の言うことに対して堂々と反対意見を述べる勇気がありませんでした。
まあそんなわけで、自分の力不足のために、本意ではないことを生徒の前で話さなくてはならないという嫌な場面を何度も経験してきました。
してはいけない言い訳
生徒指導のことなどで生徒が嫌がりそうなことを言わなくてはならないとき、嫌々ながらも淡々とと伝えます。
すると予想通り、生徒の間には微妙な空気が流れます。露骨に反発を表情に表す生徒もいます。
こういう時に「これは僕の意見じゃないんだけど……」みたいなことを言うのはやめた方がいいですよ。
こういうことを言うのは結構カッコ悪いです。ダサいと言ってもいいでしょう。
そこまではっきりと言わなくても、
言葉の端々に「俺個人としてはそうは思わないんだけど、他の先生たちがどうしてもやれっていうから仕方ないんだよ・・・」というニュアンスを含ませてしまうのもいけません。
生徒からしたら、あなたが生徒から悪く思われたくないために、つまり自分を守るために必死に言い訳しているというのがバレバレになります。
これは生徒からしてもかなりダサい人間に映ります。
「結局自分も従っているくせに言い訳するなんて、小さな男!」
「そう思うんなら他の先生たちを説得させて来いよ」
というのが生徒の率直な気持ちです。
それでもついつい、生徒の白けたような反発しているような雰囲気に負けてしまい、自分をかばってしまったことが私には何度もあります。
「うわぁ~自分情けねぇ~」
そう思いつつもやめられないのです。目の前の重苦しい雰囲気から逃れるためについつい言い訳をしてしまう自分。
あなたにもこういう経験ないですか?もしかして私だけ?笑
学校全体で決まったことに対して、実は自分はその意見には反対なのだということを匂わすというのは卑怯な行為であり、それでいて生徒からもダサいと思われる。
自分を守るどころか完全にポイントを下げています。まったくいいことありません。
ではどうすればいいのか?
さて、自分の本意ではないが言わなければならないという場面、あなたにはどれくらいありますか?
私の場合は、そういう場面はかなり多かったです。
頻度の大小には個人差があるものの、学校全体の取り決めと自分の感覚がズレるということは誰にでもあることでしょう。
そのすべてにおいて反対意見を表明して議論している時間も根気もありませんので、私はたいていの場合は仕方なく従っていました。
それでも、感覚のズレがある程度大きいのなら事前に動いてみることも大事です。学年会議や職員会議で反対であることを表明して議論するのです。
それでも自分の意見が通らなければ基本的には従うしかありませんが、積極的に自分から動いたことで、少しだけの満足感のようなものは得られます。
まあそれでも生徒の前で苦し紛れの言い訳をするのはよくありません。
積極的に従わないという道もある
反対を表明し、同僚たちと議論を交わして妥協点を見つけようとしたけれども、どうしても自分としては納得がいかない結果になってしまうこともあるでしょう。
結局はそれも自分の力不足と言えばそうなのですが、現実的にはそういうこともしばしばあるでしょう。そういうとき、困りますね。どうすればいいのか私にもわかりません。
言い訳したいのをグッとこらえて淡々と生徒の前に立つ、それが教師としての正解なのかもしれません。
しかし、他の方法もないわけではありません。
今から私が書く方法については、反発される方もいらっしゃることでしょう。それでも実際に私が考えていることですので、書きたいと思います。
学校というものが老朽欠陥システムであると考えると、少々無茶な方法も取らざるを得ません。
(私が学校を老朽欠陥システムであると考える理由はたくさんあります。別の記事で書きたいと思っています)
その方法とは、生徒に自分の真実をすべて話すという方法です。
自分の考え、自分はどうしていくのかを包み隠すことなく正直に伝えるということです。
具体的には、「私はこの件には反対であり同僚の説得を試みたが失敗した。それでも私は納得していないので学校の流れに逆らうことにした。君たちも混乱するかもしれないが、まあそういうことなので、自分で判断してうまくやってくれ。よろしく。」というようなことを話すのです。
私は何度かこの方法を用いたことがあります。
ただし、これを行うためには前提として、生徒との間に相応の信頼関係がなくてはなりません。したがって、誰でもいつでもやっていいこととは思いません。
このことについては、こちらに詳しく書きました。
まとめ
「民主主義の社会だからみんなで決めたことには絶対に従わなければならない」
ということはありません。
そうやって盲目的に流されてきた結果、世の中ではおかしなことがたくさん起こっています。
そういうキレイごとに惑わされたり、それを、自分らしさを発揮することからの逃げ道として利用するのはもったいないことです。
人として、教師として、自分の直感を大事にしてほしいと思っています。
自分の直感が「なんかおかしいな?」と告げているなら、そこから逃げずに立ち止まってください。
自分がうまくピンチを切り抜けたように見えるとき、他人の目は誤魔化せても自分の目は誤魔化せません。
自分が自分の心の声に従わなかったことに、世界でたったひとり、自分だけが気づいています。
自分の心の声に従わない毎日が続くと、自分が信じられなくなります。つまり、自信がなくなります。
まずは自分の心の声に耳を傾けましょう。
人はだれでも素直でキラキラした心をハートの中に持っています。
それを信じて、今日も生徒の前に堂々と立ってください。

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