生徒と教師の共依存。頼られることの甘美さからの脱却を!

生徒と教師の共依存

共依存とは?

共依存という概念はもともと看護現場から生まれてそうですが、現在ではさまざまな分野で共依存に陥っている人が多いことが指摘されています。

共依存とは、自分と特定の相手がその関係性に過剰に依存しており、その人間関係に囚われている関係への嗜癖状態を指す。すなわち「人を世話・介護することへの依存」「愛情という名の支配」である。共依存者は、相手から依存されることに無意識のうちに自己の存在価値を見出し、そして相手をコントロールし自分の望む行動を取らせることで、自身の心の平安を保とうとする

(ウィキペディアより)

その典型例として、アルコール依存症の夫と妻の関係が紹介されています。

アルコール依存の夫は妻に多くの迷惑をかけるが、同時に妻は夫の飲酒問題の尻拭いに自分の価値を見出しているような状態である。こういった共依存者は一見献身的・自己犠牲的に見えるが、しかし実際には患者を回復させるような活動を拒み(イネーブリング)、結果として患者が自立する機会を阻害しているという自己中心性を秘めている。

(ウィキペディアより)

「この人のおかげで私の人生は台無しだわ…」などと愚痴をこぼしながらも夫の世話をすることに自分の価値を見出している妻、そして妻に迷惑をかけ続けつつも世話をしてもらって何とか生きている夫、というような関係のことです。

共依存関係にある両者は、ともに自立していないと言えそうです。

このような共依存関係が、教育現場でも見られるようになったことが懸念されています。

学校で見られる共依存

先ほどのアルコール依存症の夫とその世話をする妻の例を学校に当てはめてみましょう。

献身的に生徒の面倒を見る教師と、教師の指導に身をゆだねてしまっている生徒。

私は現役教師のときから、生徒に対して必要以上に世話を焼きたがる教師が多いことに疑問を感じていました。

教師による生徒への過干渉、過保護が多くの場面で見られます。

それに対してはっきりと「NO」と言える生徒に対しては、教師は一歩引きますから過干渉や過保護は見られにくくなりますが、それを受け入れてしまう生徒に対しては教師はとことん干渉していきます。

受け入れると言っても、積極的に受け入れる生徒はごく少数であり、大部分は断る勇気を持たない、いわゆる普通の生徒たちです。

教師の方からぐいぐいと干渉してくるため、それを拒むという発想もなくズルズルと侵入を許していたら、気がつけば共依存関係になっていたというパターンです。

教師と生徒の共依存の結果、何が生まれるか?

それは、自分の頭で考えて判断できない人間です。

自分の課題を見つけることもできなければ、困難にぶつかったときにそれを乗り越えることもできない。それ以前に、乗り越えようとすることすらできないようになってしまいます。

頼られる甘美さは麻薬のよう

生徒と共依存関係になっている教師はたくさんいます。生徒とのやりとりを見ていればすぐにわかります。過保護、過干渉なのです。

それでいて、それが過保護・過干渉だとは少しも感じていないのがおそろしいところです。

共依存に陥る教師に特別な問題があるというわけではなく、基本的に世話好きなのかもしれません。

そもそも教師になることに憧れる人というのは、生徒から頼られていい気分になりたい、という気持ちを少しはもっているのではないでしょうか。

年下の子ども相手ですから、同年代の大人に頼られるよりは簡単です。

自己顕示欲が強かったり、支配欲が強かったりするのかもしれません。それ自体が悪いこととは思いませんが、結果として生徒の自立を奪ってしまうとしたら、改善されるべきことだと思います。

共依存になる教師が悪いような言い方になってしまいましたが、教師をしていれば、誰でも生徒と共依存関係になる可能性があります。それほど共依存への誘惑は巧妙なものだと思います。

教師にとって、生徒から頼られるというのはなんとも言えない心地よさを伴います。教師冥利に尽きる、と言ってもいいかもしれません。

一度頼られることの心地よさを味わってしまうと、それが麻薬のようになり、もっともっと欲しくなるのです。

生徒との共依存関係の陥っている教師というのは麻薬患者と同じようなものですから、周りにいる、目が覚めている教師がサポートしてやらないとその中毒状態から抜け出ることは困難なのです。

組織的な共依存

もともと教師には共依存関係に持ち込むことを好む人が多かったのかもしれませんが、最近では、学校を上げて組織的に共依存関係を生み出しやすい体質になってきています。

たとえば、生徒の日常生活をも管理するようなことが多くなってきています。

生徒の学習計画を紙に書いて提出させてチェックしたり、毎日の学習時間を教科別に調べさせて提出させたり、模試の見直しをノートにさせて提出させてチェックしたり、

日常的に多くの課題を出して、生徒が自ら考えて勉強するチャンスを奪ってしまったり…。

希望する進学先の大学を調べさせて紙に書かせて提出させ、その紙をもとに個人面談をします。個人面談ではその大学の受験科目を教師が一緒に調べてやり、細かな勉強方法までアドバイスします。

どう考えてもやりすぎです。生徒が自分の頭で考えて行動するという余地を完全に奪っています。それでいて自主性を重んじるなどと言ってみたりします。恥ずかしいくらいの矛盾です。

自主的に自らの課題を見つけてそれを解決していけるような人間になってほしいのなら、学校においてもそういう場面をたくさん用意するのが近道でしょう。

自力で何もしなくてもすべて完結してしまうような学校にしておいて、生徒の自立をサポートします、などとよく言えたものです。

とまあ、学校や教師を批判しても仕方ありません。そのような共依存に陥っている教師は、自分が生徒の自立のチャンスを奪っているということに気づいていません

そのことに気づいていて共依存関係にならないように生徒と接している教員が、まわりからサポートするしかありません。

共依存関係に陥っている教師と生徒をサポートするのです。

共依存の教師と生徒を救え

直接そのような教師に言ってもなかなか聞いてもらえません。したがって、共依存関係を生み出しやすい学校のルールや慣習をひとつずつ改めていくように行動していきましょう。

基本的な考え方として、生徒の自立につながることをして、生徒の自立を妨げることは止めるということです。

勉強面では、生徒が自分で計画をたてて学習できるような体制にすること。学習計画表を担任がチェックするようなことはやめていくべきです。

サービス過剰となることを防ぎましょう。全員に配布する必要もない連絡事項の書いた用紙などは、教室に一枚掲示すれば事足ります。

(関連の記事)

生徒の自主性を奪うようなサービス過剰は生徒の成長を妨げてしまう

個人面談の見直し。個人面談は必要最低限にします。生徒が自分で調べられることは自分で調べるようにしていきます。

生徒の悩みを聞いてやることは大切かもしれませんが、必要以上に依存させないようにします。今まで100依存させていたのなら、それを70、50と減らしていくようにしていきます。

校則も少しずつ変えていきます。変えていくポイントは、生徒の自立につながるかどうか、です。

生徒の自立を妨げるような校則は撤廃していきべきです。

中学校では制服の下に着る肌着の色まで決めている学校があると聞きますが、そういうことは生徒の自由です。ついでに言うと、髪形も靴下の色も自由のなずです。

スマホを学校に持ち込むことは許可しているのに、放課後まで一切の使用を禁止するというのもよくありません。休み時間に生徒がスマホをどのように使おうが、それは生徒の自由です。

また、学校によっては休み時間にスマホは使用してもよいがゲームは禁止、などという不思議な校則をつくっている高校がありますが、これも生徒の判断に任せるべきです。

とにかく生徒をもう少し信用していくことです。彼ら彼女らは成長の途上にあって、いろいろな失敗をしながらも経験値を上げていっているのです。

教師が手取り足取り世話を焼きすぎてもいいことなどありません。

生徒が失敗するまで放っておいて、援助を求められたら適度に手を差し伸べるくらいでちょうどいいのだろうと思います。

あえて障害を設けることで身体の回復をサポートしている『夢のみずうみ村』というリハビリ施設がありますので紹介します。

夢のみずうみ村には、段差、坂、階段等日常で遭遇する可能性のあるバリアを意図的に配置した「バリアアリー」施設です。どこにも手すりがあって、段差がない施設は、高齢者が自らがんばって、身体を回復させようとする意欲を奪ってしまうという考え方によるものです。

バリアを意図的に設けて、バリアの克服方法をマスターしていただき、自宅での生活範囲を広げていただくことを目的としています。

(出典:夢のみずうみ村HP

教師として本気で生徒のことを思うなら、どうか共依存にはならないでいきましょう。もし自分が共依存になっていると気づいたら、今すぐに改めていきましょう。

思い立った時がスタートです。いつでもまだ間に合います。

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