「嫌われ役」は必要か?①
学校における「嫌われ役」という言葉
教師は、ときには「嫌われ役」になることも大事。
生徒から嫌われることをビビッていては生徒指導はできない。
あなたはこのようなことを聞かれたことはありませんか?
これらは、実際に私が学校現場で聞いてきた言葉です。
実際、「嫌われ役」の教師は必要なんでしょうか?
ややこしいので先に言っておきますと、あえて「嫌われ役」になることと、嫌われることを恐れずに働くこととは、まったくの別物です。
生徒から嫌われることを恐れていると自分らしい生き方ができないと思いますし、嫌われることを恐れていると、逆に嫌われやすくなることも体験してきました。
とりあえずこの記事では、「嫌われ役」の是非について私の経験から思うことを書いてみます。
先に結論っぽいことを書きますと、
私は「嫌われ役」をやりたくない人間です(笑)
そして、「嫌われ役」がいなくても学校教育はうまくいくと思っています。
一方、教師が「嫌われ役」となってうまく生徒指導をしていくというのが得意な教師の人もいると思いますし、そういうやり方もありだと思います。
ただそれを、そういうのが苦手な教師にも強要するのはよくないと思います。
ときには「嫌われ役」になることが正しい教育のやり方である、というのはひとつの考え方であって、それがすべてではありません。
「嫌われ役」がいなくても生徒指導はできますし、それぞれ自分の特性を生かしたやり方でやっていくべきだと思います。
とくに経験の少ない若手教員の人には、いろんな選択肢があることに気づいてもらいたいと思っています。
では、もう少し詳しく書いてみます。
好かれたいと思うのでは?
生徒に好かれたいと思っている教師の人は多いでしょう。
私も教師をやっていた頃は、常にそう思っていました。
べつに「生徒に好かれるために」教師をやっているわけではありませんが、
どうせなら嫌われるよりは好かれた方がいいに決まっています(と、私は思っています)。
実際私は、20代後半~30代前半の間の何年かの時期は一部の生徒から嫌われていました。
初任校で生徒指導担当をしていたときと2校目で女子から嫌われていた時期の通算3年間くらいです。
あの頃は本当につらかったです。毎日が憂鬱でたまりませんでした。
それ以外の時期は、自分で言うのもなんですが、生徒からはまあ好かれていました。
20代前半の頃は若さのパワーも手伝っての好感度でしたが、30代前半の嫌われる時期を乗り越えてからは、
自分の考え方を大きく転換して新しい自分として生徒に接していくようにした結果、びっくりするくらい生徒とはうまくいっていました。
そのあたりの話もまた記事にしたいと考えています。
さて、話を戻しまして、
長年の教師生活で多くの教師の人たちと仕事をしてきましたが、生徒から嫌われたいと思っている教師には出会ったことがありません。
しかし、「自分が生徒から好かれるか嫌われるかなどはどうでもいい、そんなことは気にしていない」という教師には何人か出会いました。
「大事なのは自分が好かれることではなくて生徒が人間的に成長していくことだ、それをサポートするのが自分の仕事だから・・・」
なるほど~すごいな、と思いました。
それで、あえて嫌われ役になろうとする教師もいました。
嫌われ役として生きた日々
私も若いときは、先輩たちとの会話の中で「嫌われ役も必要」というようなことをよく耳にしました。
とくに生徒指導主任は嫌われ役の人が多かったです。
あえて嫌われ役になっているのか、もともと嫌われているキャラなのか、いまいちわからないことが多かったですが(笑)、
とにかく生徒指導主任は、強面と腕力と雰囲気の怖さで生徒の非行を抑えつけていく、というイメージが強かったです。
私も若いときは生徒指導担当の経験が長かったものですから、そういう嫌われ役キャラの先生たちと一緒に仕事をしてきました。
そして実際に、私も嫌われ役として振る舞って、困難な生徒指導を乗り切ったこともあります。
嫌われすぎて、買ったばかりの愛車を生徒に思い切り蹴られてボコボコにされたこともあります(泣)自腹で修理したことは言うまでもありません。
まあ車を蹴られるくらいになると嫌われ役もかなり成功していると言えるでしょう。
もともと嫌われていただけ、という可能性もありますが、それは絶対ないと自分に言い聞かせています 笑
そんな感じで、嫌われる生徒指導もそこそこうまくいっていました。
うまくいくというのは、その学校の過去の指導実績と比べて失敗はなかったという意味でして、それがベストの方法であったのかどうかはよくわかりません。
嫌われ役になるのは嫌だった
実際のところ、私は「嫌われ役」になることに少なからず抵抗を感じていました。
先輩たちに言われるままにそうしていたにすぎません。
それが教師の仕事というものだろうという考えがあったのと、先輩のやり方に反論するだけの知識も経験もなかったことが原因です。
たしかに学校教育の目的のひとつは「生徒の成長をサポートすること」だと思いますので、たとえ自分が生徒から嫌われたとしても、それが達成されるのであればいいとは思います。
大人になってから友人と酒を飲みながら、
「あの教師はホント最低でめちゃくちゃ嫌いだったなぁ…。でも、そのおかげで俺は強くなれたかもな。今思えば感謝だよ・・・」
っていう、ありがちなパターンです。
そういう教師もありだと思いますが、自分はそういう教師にはなりたくないなと思っていました。
とくに理由はありませんが、なんとなく自分はそういうタイプではない気がしたからです。
人それぞれ、生徒との関わり方には自分の得意な方法があると思います。嫌われ役として真価を発揮する人もいるのかもしれません。
私の場合は、生徒から好かれて、なおかつ生徒の成長をサポートするという目的も果たしたいと考える人間です。
欲張りなように聞こえるかもしれませんが、やろうと思えばできることです。
次のページでは、「嫌われ役」という発想が生まれるプロセスと、嫌われ役なしでうまく生徒とやっていく方法について考察していきます!

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